不妊の悲しみと、流産や死産の悲しみはとても近いかもしれない

おはようございます。

岡崎です。

新聞に「子どもが欲しいの向こう側 傷ついた言葉編」というコラムが連載されています。

今朝は流産や死産を経験した夫婦が周りから言われて傷ついた言葉のお話。

今日は、このコラムを読んで私が感じたお話です。

コラムには、

「流産や死産は、生まれて成長して亡くなった人との死別となんら変わりないかもしれない。そして、どんなに慰められても和らぐことがない悲しみの中にいる時間がありうる、ということです。」

とあります。

そして周りの方へ、

普通に生活しているようでも「もう大丈夫だ」と思わないで。

また、「よくあること」、「次があるから」という言葉は確証のない無責任な励ましと帰って傷つくことがある。

「泣いてばかりいると上の子がかわいそう」も言いがちですが、上の子と亡くなった命は全く別の存在。

とあります。

最後に、

悲しみの経過には個人差がある。

当事者は特別な言葉が欲しいのではなく、しばらく静かに心のままに過ごせる環境が必要なのです。

と結んであります。

コラムが伝えていること、その通りだと思います。

私自身、2度の流産を経験しています。

1度は心拍も確認し、つわりに苦しんでいる最中のことだったので本当にショックでした。

毎日、泣いてばかりいました。

今は、こうして何かの刺激がない限り思い出すこともなく毎日を過ごしていますが、思い出すとちょっと切ない気持ちになります。

私、常々思うのですけど。

この子どもを失った悲しみ、流産や死産した人だけではないと思うのです。

もちろん生きてきた背景も違いますし、個人差も大きいので、みんなが同じように感じるわけではありません。

ですが、不妊治療をしてきたけれど結果的に子どもに恵まれなかった方の中に同じような悲しみを感じていらっしゃる方がいると思うのです。

特にそう思うようになったのには、ある女性との出会いがきっかけでした。

彼女は、ある事情により幼少期から母親との関係に心をくだき、成長してからも家族のために一生懸命に生きてきました。

そんな彼女にとって自分の家族を作ることは、単に子どもを持つということを超えて、自分の母親や育ってきた家族との関係を再構築することでもあったのです。

20年以上も、結婚して子どもを持って幸せな家庭を作ることを夢みてきたのです。

きっと、赤ちゃんの時はこんなことがあって、こんな風に親子で過ごして、少し大きくなるとこんなことがあって、次はこんなことがあって、と具体的なイメージもたくさんあったはずです。

そんな彼女が、子どもを授かることがないことを受け入れなければならない時に感じた悲しみは、どれほどのものだったでしょう。

想像の中とはいえ、繰り返し想い描いてきた子どもの姿を失う悲しみ。

それは、やっぱり生まれて成長して亡くなった人との死別と変わらないのではと思うのです。

その時、可能であれば、周りの方にそれくらい悲しいのかもしれないなと想像してもらえるとありがたいと思うのです。

そして私が、子どもを持つことができなかった当事者である貴女、あるいはご主人様に一番伝えたいこと。

それは、「自分はそれくらい悲しいのだと気づいて欲しい、悲しんでもいいことなんだと思って欲しい」ということです。

とても辛いけれど、その悲しむ時間は、きっと前を向く時間を生み出してくれます。

ご紹介した女性も、子どものいない人生を受けとめ一歩一歩ご自分の人生を作っていらっしゃいます。

人生思い通りにいかないことをたくさん経験してきた彼女のことを、私は心から尊敬しますし、本当に素敵な女性だと思います。

子どもを持てないことは、時に子どもを失ったのと同じくらいの悲しみを感じることがある。

そんな時、周りの方はそっと見守っていてくださいね。

悲しむ時間は、きっと前を向く時間を生み出してくれるはず。

そんなお話でした。

今日も良い一日を。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする