子どものいない伯母の遺言書つくりを通して

おはようございます。

先日から、高齢の伯母の遺言書つくりをお手伝いしています。

何事も初めてのことは学ぶことが多いですけれど、遺言書つくりからも学ぶことがとっても多いです。

今日は、そんなことから思ったことを書いてみようと思います。

伯母は、子どもがいなくて、ご主人は十年以上前に亡くなっています。

一般サラリーマン家庭でしたので、遺言書の内容は少しの財産分与と死後の事務整理などです。

財産分与、死後の事務整理なんて聞くと、寂しい感じがします。

けれど、伯母の手伝いをしているとそんな感じではないのですね。

楽しげというと言い過ぎかもしれませんが、少なくとも暗い感じはしないのです。

なぜだろうと考えてみました。

しばらく考えて、あ、そうか!と気がつきました。

伯母の遺言書はお礼状だったからです。

伯母は、「仲良くしてくれて良くしてくれてありがとう。あなたに出会えて幸せだったわ。」というお礼状を、財産分与だったり形見分けだったりで形にしていたのです。

伯母と接していると、なるほどな〜、子どもがいないとこういうことが起きるんだなぁと学ぶことがたくさんあります。

体力が追いつかなくなった時の日々のこと、お役所などの手続きなどを、誰に相談してお願いするのか。

人生の終わりを、どこでどのように過ごすのか。

自分のお葬式や事務処理などの希望を誰に伝え、お願いするのか。

こういったことは子どものいない私達夫婦にも起きることなのですよね。

これまでの日本は子どもがいる前提で社会システムが成り立っていました。

その結果なのか、多かれ少なかれ人々の中に子どもがいないことは不自由なことだったり、寂しいことのような思い込みがあります。

思い込み、もちろん私の中にもあります。

と同時に、私の中には、子どもがいないことはしがらみに縛られない、自由であるという思いもあります。

伯母の連絡手段は電話か手紙だけで、メールもインターネットもしません。

ですが、友人、職場の同僚、ご近所の方などに信頼できる仲の良いお友達がいて幸せそうです。

結局、自分がどう思うかが大切なんですね。

また、伯母の遺言書つくりは、私たち夫婦に、自分たちがどんな風に自分達の人生を着地させたいと思うのかを考えるきっかけをくれました。

とはいえ、どんな風に着地したいかなんてすぐに結論なんて出ません。

子どものいない方は増えていますから、20年後30年後は社会システムも今とは変わっていて、新しい着地方法が出来ているかもしれないですしね。

今はアンテナだけは立てておく、そして時々考えてみることで十分かなと。

それだって、いざとなって慌てて考えるのとは大違いのはずですもの。

そして、人生の着地を考えることは、今の人生をどう充実させていくかを考えることでもあるなと知りました。

私の場合、目的は「豊かに生きていく私」

手段はいろいろあるはずです。

欠かせないのは、ともに楽しみ、ともに気遣いしあえる良いご縁かな。

良いご縁を育てるというアンテナもしっかり立てていこうと思っています。

今日も良い一日を♪

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